そう、誰もが棄てた記憶の片鱗。

どことなくねむぢえす

お疲れさんっす

久し振りに追われている気がしない夜だったので、このピンクの門を叩いた。
正しくは追われている気がしない訳ではなく、今までずっと追われた方向に走らなくてはならないような気がしていただけであって、こぼれていいから足を止めてみただけである。今日はとても疲れた、歩みを止めるとわたしを追い立てていたものが騒々しく物凄い勢いで少々わたしの身を蹌踉かせながら左右をすり抜けていった。蹌踉きついでに彼らの走る方向に数歩、つい癖で歩みを出してしまったけど、物悲しくなったので今はゆっくり歩くことにした。ゆっくり歩いていても、走っていた時となんら距離が変わらない事に気づいて、それでもこのままゆっくり歩き続ければ徐々に距離は開いて喧騒は聴こえなくなるんだろう、現に別の道を抜けていった塊はもうわたしのわからない言葉で喋っているし、きっと視界に捉えているよりずっと遠くにいるんだろう、逃げ水だ。

わたしはどうやったら悲しくなくなるのだろう、もしくは、悲しくないと設けられた水準まで気を取り戻すことが出来るのだろう。もういい年だ、不出来に目を瞑って高望みをしているでもなし、不特定多数頼みのあやふやな承認が欲しいわけでもなし、なしと思っているのは己のみかもしれないとしても、表層心理ではそう重要な位置づけはしていない。知らん人にモテるより君に愛されたい派なんでおじさんきっとチヤホヤされたら逆に困っちゃう。気分が揺れる時期には悲しみの引き金になる事象に近づかないよう心掛けてはいるものの、確固として揺れないターンでは全く持って無問題どころか楽しみの切っ掛けくらいの勢いであったりするから、線引きは難しい。それでも鉄の自律によって時期ごとに見る物を変えているのだけれど、しかしまあ、完全ではない。完全はない。

完全がないどころかぜんぜんだめだよ!だめだね!!あーもう酔っ払って寝たい今日は疲れた物理で疲れた、台風が押し迫っているから何か台風念波のようなもので昼間みんな眠そうだったしこんな日は早く眠るに限る。睡眠時間の少ない人は早死にしそうで見ていて心配になるからせめてわたしの前ではよく眠ったのだと嘯いて欲しい、構って欲しくて眠らないのなら添い寝くらいしに行くから。後生だから。そしてわたしの悲しみについてという本題が突然結果を伴って舞い戻ってしまった、今日はもう疲れたから来なくてよかったのに。

わたしの体調不良には名前がなかった。誰に聞いてもどの病院へ行っても名前をつけてはくれなかった。知人が眩暈を起こし、ある人は起立性眩暈だといい、ある人は内耳由来の眩暈だといった。病院へ行く事を薦めた次の瞬間にそれは分かった、そういった事が多い。病気なのだろうか、怠惰なのだろうか、デザイナーなのだろうか、デザイナーのふりをした何かなのだろうか、とか、いつでも立ち位置はあやふやで、明らかに眩暈でデザイナーではあるのだけれども、自分が確固として信じているだけで他の誰もが正しい権威のもと地位を与えてくれない、ローカルベースでは認めてくれるが賞や勲章や証明書は貰えない。診断書だって貰っていない、だって病名はいつでもないのだから。そういう「なにものでもない」というありきたりな悩みの、生きるための最低ラインが解決していない、自分しか自分に地位を与えていない。承認欲求では無いと前述したものの、これはある意味の承認欲求ではあるなあと思うとちょっとアホらしくなった。

ぼくの才能を認めてくれといったでしゃばりの気持ちはそれほどないつもりだし、認めて欲しければ腕を磨くしかないと断言する。磨けなければだめであるというレッテルを貼られて然るべきだろう。いまわたしにはだめであるという承認すら貰っていない。そこにいてもいいどころか、いけないという承認もない。経年劣化で倒れていく知人どもの、眩暈の原因が次々と認定されていくのを傍目に、原因が分かって良かったねと声を掛けるわたしはいったいどこを踏みしめて立っているのだろう。