そう、誰もが棄てた記憶の片鱗。

どことなくねむぢえす

壊滅的に笑い転げた明くる夜

一年に一回しか更新しないブログは日記とは言わないし、年記では造語なので年報とでも呼んでしまいたい。

スカイデッキは土日祝日しか解放していないという事を去年実地で学んだにも拘わらず、空いている週末を待つのは意外とかったるいしこのままでは何時になるか分からないので、思い切って諦めて平日に赴いてみた。サンシャインの空はガラス越しに眺めてもやっぱりただの空であるし、天気の悪い昼間に見る都会の遠景というのは何となく薄汚れている。

未だにこんな事をしているのは自分だけだろうと思うし、ここから何所にも行けないでぐるぐる回って一年経ったら同じ場所に戻って来てしまうのも馬鹿馬鹿しい。けれどもわたしはもう長い事捕らわれたままなので、おそらくこれは呪いなのだろうと思っている。
とは言っても彼が掛けた呪いでは無く、こうなる事を予想出来なかったわたしが自分自身に掛けてしまった呪いだ。わたしは幽霊とかそういった類の物は信じていないが、生きた人間の怨念は生霊となって人を縛るとかちょっとマジで思っている。この呪いは、この場所とこの呪文を選んでしまったせいで生きているわたしが自分自身に掛けた呪いであり、彼は本当にその切っ掛けだったに過ぎない。誰も悪く無いし強いて言えばわたしがたった一人で一番悪い。
彼は誰にでも明るく優しく笑顔だったというだけで、実際の所わたしとはそれ程懇意にしていた訳ではない。普段は文字情報のみで会話をしながら数度顔を合わせて短い談笑をしていただけの関係だったし、文字情報内でもより親密な交流をしていた人は他に沢山いた。わたしは相変わらずの人見知りと王様気質で彼との会話を何度か無駄にした。たられば仮定の話は余り好きではないので、もっと話せば良かったとか、もっと仲良くなりたかったとか、そういう事は特に考えていない。二人の間柄はそういうものだったのだと納得しておきたい。だけど、今のこの騒動について、彼なら何て思うんだろうなあとかちょっとだけ思ってしまった。思って直ぐに後悔した、わたしはそこに無い事実について言及したくはないのだ。だからこれから先の文章は彼とは全く関係ない事なのだと認識して欲しい。
事態は収束に向かっていてツアーも始まった。最初は落胆したり憤慨したりしていた人たちも、拙いながらもそれらしい応対やライブの素晴らしさで持ち直している。周りを流れる風景は数週間前の空気と変わらず、寧ろ分断していた所が繋がり膿は流れて綺麗になった位だ。トラブルは乗り越えれば結束力を強めて所謂これが『ピンチはチャンス』なんだなあと実感している。単純にピンチの状態を長く保つ事が出来ないから落とし所や最善の状態を模索してそこにシフトしていくというだけの事だろうけれど、そんな当たり前の事をスムーズに行う生命パワーの高さにただただ感動してしまう。沢山の人に囲まれて、一人で生き、自分の事は自分で出来て、自分の気持ちは自分で処理し、それがいち大人として正しい在り様なのだろう。人として当たり前に優秀で前向きに歩いているひとつひとつの個性とか個人がわたしの周りを囲んでいるけれど、わたしは未だに同じ場所をぐるぐると行き来している。わたしはここでも自分自身を呪いに掛けてしまった。
正直な所、金の流れが不明瞭とか、会社として対応が不味いとか、一番悪い人を決めたりそれを排除したり責めたり、彼がいなければとかそれじゃないんだとか、そういった話には興味は無かった。あいつ痛ぇな仕出かしたんだちょっと困ったね、っていうしみじみとした噂話と、早くトラブルが無くなってもやもやした気分が晴れたらいいなという気持ちがあるだけだった。もし金銭に疎いとか王様だったとかそういう予想を立てるなら誰に悪意があった訳でもないし、伝えるのが下手なら汲み取りたかった。悪者を追いこんだり責任の所在を明確にする事は、他の価値観を持つ人には重要な事なのかもしれないけれど、自分には取るに足らない話だったから、人は人、自分は自分のスタンスで静観していた。証明して欲しい人、彼の口から真実が聴きたい人、触れて欲しくない人、それぞれ大切なポイントは違うのだから、そこはわたしが土足で踏み入って価値観を訂正して回るのもよろしくない。人によって落とし所は違うんだ。色んな立場や考え方からの話を読んだり、感想を聞いたり、騒動のいきさつや動向を見守るのも静観者の役割だと思った。愛してるからこそ最後までお付き合いして、全部終わったら綺麗さっぱりした気分で楽しみたかった。それが、彼の自然な言葉を聞いた瞬間、呪いに変わってしまった。
わたしは彼に愛されていないんだなと思ってしまったんだ。
当然の事ながら個人的に愛されてるとか特別な人扱いをされているとか、そういった類の事は微塵も考えてない。そこまで自惚れてもいないし頭おかしくないぞっていうかどういう電波受信してるんだよそれ。そういう事では無く、ファンというひと塊の群れとして、己の賑やかしの一部として、メシのタネとして、わたしは彼に愛されていなかったんだなあと思った、という話だ。それだって充分身勝手で一方的な思いではあるので、そういう仮定に基づいた幻想を抱いていたという事になる。まあ、夢見させてナンボな商売だと思うし多少の勘違いは想定内なんだろうけれど、夢見てる事の一部くらいは本当なのだと思っていた、仮定って本当に嫌いだ。わたしが夢見ていたものはこうだ。例えばゲーム媒体を運営している場合、ユーザーはお客様というひと塊であり個々人の動向なんてものはそう見えない。けれど提供したサービスが当たって利用者数が増加すれば運営側は嬉しいし、感想メールが来れば内容が如何でもテンションは上がるし、例え連絡なんて来ないとしても外部SNSやゲーム内で楽しそうに遊んでいる痕跡を見ればそれだけで満足できる。その気持ちは金銭に直結する前段階で純粋に喜びとして沸き上がり、ありがとうとかこれからも宜しくとか、愛とは言い難くとも少なからず情的なものは芽生えるものではないかと思っている。そういう愛を夢見ていた。その思いはかの更新で一転した。愛と呪いなんて紙一重だ、ベクトルが違うだけで根底に流れるものの原理は変わらない。好きの反対は嫌いではなく無関心だとは良く言った。
勘違いしないで欲しいのは、彼がわたしに呪いを掛けたのではない、わたしがわたしに呪いを掛けたのだ。そして彼が本当にわたし(というファンの塊)を好きではないなんて事は思っていない。生きてる限り自分を肯定的に捉えてくれる人がいるというのは喜ばしいだろうし、先に言った情の様なものは多少なりともあるだろうと思っている。これも予想の域を出ないがその辺は追及しても仕方が無い。まあ一般論で言ったらどんなにひねくれていても好意を示されれば真っ向から嫌がる人はいないだろう、それに付随する面倒臭いとか困るとか個人的に嫌いとかそういう感情の方が先に露見してしまう人も多いだろうが。だから冷静な目で事と対峙すれば自分が本当に愛されていないなんて思い続けてはいないのは分かる、『その瞬間に思ってしまった』という事実があるだけなのだ。
瞬間的に大きな力で殴られた衝撃がわたしの中に留まって離れない。時間の経過と共に頭で経緯を処理して噛み砕いて理解しても、腹に受けた拳の形が指の一本一本まで分かる位に離れない。実際に殴られて指の形が分かる人はそうそういないだろうけれども、これはイメージだ、事実ではなく頭の中に思い描いた事を事実と混同しているだけだ。それも分かっているけど離れない。だって、( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーンて殴られて鼻血が出て唇が腫れたとして、実は間違えて殴っちゃいましたとか本当は殴ろうと思ってなかったんだと説明されて納得してそれじゃあ仕方が無いねこちらも吃驚してごめんね、ってなったとしても、鼻血と腫れは引かないだろう、そういう事なんだ。たまたま鼻血が出易くて血が止まり辛かったわたしを間違えて殴ってしまったのなら、それは誰も悪くない。誰か悪い人を一人選べと言われたら、鼻血の止まらなかった自分が一番悪い。だから彼を恨んだり許さなかったりする訳ではない、抑も許すって何だ、わたしに許されないといられない事など何もないし、恨んだり、嫌いになるつもりもない。愛してるから苦しいんじゃないか。
自分の事を微塵も好きではない人を、過去も現在も未来も好きでい続ける事の苦しさ。
もう一度言うけど本当に彼がわたしを好きでないなんて思っていない。ほんの一瞬の衝撃を未練がましく引き摺っているだけだ。だからそれを声高に伝える事も出来ないし、引き摺った荷物を偽ったり隠したりする程器用にも立ちまわれなかった。わたしの中でこの勘違いな呪いは、成人した子供に母親が「あなたなんて好きじゃなかった、いなくなって欲しかった」とうっかり告白してしまったなんて話に喩えてもいいかもしれない。本心は違ったとしても、それを後出しで訂正しても、一度削られた部分はすぐに直る訳でもないし、瞬間接着剤で貼り付けたって痕は残る。削られてしまいましたなんて誰に言う事でもないし、言う相手もいない。大体削られたのかすら考える所まで頭が回らない。つまり凄く疲れているんだよ。愛されてないと思った時から、その続きを思い描く事が出来なくなった。愛されない事に気を多く割いて揉む質であるわたしが疲れているだけだから、そう思わない人が冷酷だとかそういう事を訴えたい訳でもない、これはわたしの中の、わたしだけの問題で、わたしだけの事例で、わたしの話なのだ。だからだれもがこのわたしを指差して笑ったとしても、他の人達は戦ったり、慰めたり、啀み合ったりしないで欲しいと思っている。
疲労を癒すのは時間であり、痛みを癒すのは上書き消去だろう。疲れたなら眠ればいいし、恋人に振られた時は新しい恋人を作ればいい。だからと言って新しい恋人を作るつもりは特に無くて、今でも彼の事が好きだし、これまでも産まれた子供が成人する以上の時間を使って愛して来たし、これから先も好きだ。恋人はちょっと違うな、やっぱおかあさんだな。おかあさんに嫌われたって愛されたっておかあさんである事は変わりないし、変える事は難しい。本当の実母なら法律的な手続きで無関係になる事も出来るだろうけどこちとら脳内おかあさんだから元々繋がってる箇所なんてないし切り離しようが無いので、わたしはもう少し疲れたままなのかなと思っている。わたしの事を好きでも何でもないと一瞬感じてしまった人をこれから先も愛するのだから、もう少し呪いを解く時間が欲しい。