そう、誰もが棄てた記憶の片鱗。

どことなくねむぢえす

中庸はいい事だ

大学では心理学を専攻していて、何故そこを選んだかと言ったら空気としては非常に浮ついた世の中の流行りごとに乗っかってしまった感が満載であった。だから心理学ですと人前で申告すると何となく笑っちゃうし照れちゃうしまあ大した事もしてないよとのたまってしまって、今でもその癖は直らない。どうも昔から、自分で選んだものが恥ずかしくて仕方ないらしい。
心理学を選んだのは分からないものを知りたかったからであって、決して流行のドラマに影響されたわけではないし、高校の担任がスピリチュアルな方だったので未だに親にはあの先生の影響でしょと言われるけれども全く以て的外れているし、大体心理とスピリチュアルは何の関係もない。そして流行りに乗じた犯罪心理学も人を操る方法もコールドリーディングも大して興味は無かった。どうして自分はこんなに駄目でいけないのかを知りたかった。これは自分探しの旅でとてもはずい。仕方ない。

学生時代よりずっと前も、もっと後も、自ら選んだものが恥ずかしくてうまく真意を説明できないという事が多々あった。自分の中では確固と筋道立った理由が存在し理々論々としているにも関わらず、それを外側に取り出して誰かに目の前に置くと突然よく見えなくなるので、しばしば湾曲して伝わり是正しないまま事は進む。是正される必要は無いと思っていたからそのまま話を進ませていた、是正されたら自分が真面目にそれを選んだことが相手に伝わってしまうからである。本当に昔から、自分で選んだものが恥ずかしくて仕方ない。

もういい年ではあるし、それが宜しくないとは分かっているので、根本的な性格や考え方は変わらないにしても行動くらいは普通の人でありたいと願ってそこにフィーチャーして己を是正して来た。よく悩み相談で自分の性格を変えたいなんて話があるけれどもそんなものは97%くらいは不可能である。余程専門家に金を払って時間を掛けて治療していくかもしくは半日ほど拷問でも受ければ可能性は残されているので3%ほどのふり幅をそこへ置いておきたい。けれども日常を営みながらまったく別の人間になるというのは不可能だしそれこそゼロであっていい。

予想ではあるが、わたしは変わり者である。普通や中庸に憧れてそれを目指しているのは決してポーズではない。一見そう見えないのならばそれはわたしの普通への憧れと努力の賜物であると理解して欲しい。そして突き抜けて目立つ天才的な変わり者ではなく、誰の目にも留まらず異端として見なかった事になり騒ぎ立てる事も無くそっと無関心へと移行し存在がなかった事になるほうの変わり者である。変人と呼ばれて喜ばしい型の変わり者ではない、人はどんどん離れていくし、誰かが気に留めるなら全体を見た時の一部としてである、そういうやつな。根底にそれを携えた上に社交の家を建てたがそれは誰かの模倣である。わたしは随分と知人から人間の喋り方を模倣させて頂いた。

自分を評する時、根拠のない漠然とした不安のみがソースである場合はそれほど強く断言しない。だから変わり者であると考えている根拠はある。大学でやたら人気があってその年度殆どの学生が取ったコラージュ療法という講義があって、そこには100人以上の志半ばの若者がおり、その中には明確に自分探しをしている者や明確に職を目指す者、ぼんやりメンヘラ気質な者もいた。わたしははつらつとした行動派で真面目に講義を受けノートは貸す方、サークルもがんばるいい子だった、それを学んだから学んだ通りのなりたいものの歩み方を辿っていた。ある時学生が作成したコラージュを壇上でひとつひとつ紹介する事になり、講師は「これは講義だから安易な診断はしません」と宣言し、不思議ちゃんの不思議になりたい願望をちくちくと刺す以外はコラージュ自体の感想しか述べなかった。100人以上の学生の作品をだ。一言も診断めいた事は口にしなかった、自分の作品以外では。

彼はわたしの貼り付けた人物を指差して対人恐怖症の気があると言った。指摘されてはじめてそういえばそうだなあと気づいた。多少絵も描けばデザインにも通じているからコラージュなんてものは本当に楽しく作成したのだ。だから当たり前に現れたその特徴に気づかなかった。美しく構図に収まっているがそこには人の目線に怯える人の典型的なサインばかりだった。自分としては割とよく出来た社交の家を建てたつもりだったので、暫くの間ショックを受け、そして未だにそれを引き摺っている。自分はちょっと変わり者ではなく本当に変わり者なのだなあと専門家に指摘されて確認してしまったから、以降はその話を知人などに時たましている。そしてわたしは変わり者なのだよと宣言する。恥ずかしくない、わたしが選んだものではないから。
100人中1人だけ存在した変わり者。それだけでも絶望的である。99人が指摘されなかったものをわたしだけ持っている。実際は130人ほど在籍していた気もするけどそこはまあいい。そんな変わり者の選んだ物は世間と照らし合わせて本当に正しいのだろうか、いつもそれがあやふやである。世間なんか関係ないと思うじゃろ?そう思うのは君がある程度世間になりふりを赦されているからだろう。世間と自分どちらかに特化したい訳ではなく折り合いをつけたいのだ。そろそろ頃合も宜しいだろうと顔を上げるとあの時のコラージュが確りと見える、まだだった。

わたしは他者に語り掛けない。常に自分と対話をしている。変わり者とは特別ではない。排除である。余り自分以外の変わり者を見た事がないけれど、わたし以外の変わり者もきっと排除されていて目に触れないのだろう。最近1人だけ世間の中に紛れた変わり者とお知り合いになる機会があったが、彼はきっと自分が99人とは違った1人であるという自覚はなさそうである。ないからこそ抱く悩みもあるだろうけれども、わたしは自覚のある悩みを抱えてしまった。だからこそ普通を探して変わり者を覆うように家を建てた。専門家がきまぐれに口滑らせただけだという事も分かっている、それでも口滑るようなあからさまな対人恐怖が滲みあやふやな言葉を吐いてしまったという事実だけはそこに残る。

言っておくがわたしは誰も怖くない。対人恐怖という言葉から連想されるような弱弱しい言動も引っ込み思案さもなければ行動力は人一倍強い、喋りはつたないが恐怖で動けない・身体が動かない・発汗・ふるえなどあらかた予想の付きそうな人が怖いという項目は一切持ち揃えてはいない。何か別の言葉でもあればそれに置き換えたいところだけれどもどうだろうか、ゆるやかに定められた人としての基準に達していない事への恐怖関心、変わり者である自覚と罪の意識。やっぱり内容的には対人恐怖で合ってるな、うむ。ここまで深くくぐもった意識があるならば医者の門でも叩いて良いのだろうけれども、生憎社交的なのだ。ここでまた先日書き記した「なにものにも認められない」診断書の出ない眩暈の如く、そうではないとカテゴライズから外されるのだろう。世間様にはもっと表層に問題を露出させた変わり者がたくさんいて、その中の幾許かは変わり者の域を越えて要治療として世間に認められている。だったら医者にでも何でも行けばそれなりの地位と名前を貰えるから行動力に任せて行って来いと言う者もいるだろうが、眩暈が酷かった頃に精神科も心療科も神経内科も経験済みである。ある医者は見るなり鬱だと言ったが全く以て誤診だった、ある医者は何も言わぬので対人恐怖の気があると申告したらその通りになった、欲しているのはそういう事ではないだろう。腹痛の原因はウィルスか盲腸か、今日は月曜日なのか、夏は暑いのか、そういう事が聞きたいのだ。そしてそんな明確な答えをくれる人間などいない事も分かってる。唯一貰った一言がわたしを世間と断絶した変わり者だと何気なく指摘した言葉のみという事だけなのだ。だから自分が自分に発する言葉は確固たるのだが、外に発する事が恥ずかしくて仕方がない。

お疲れさんっす

久し振りに追われている気がしない夜だったので、このピンクの門を叩いた。
正しくは追われている気がしない訳ではなく、今までずっと追われた方向に走らなくてはならないような気がしていただけであって、こぼれていいから足を止めてみただけである。今日はとても疲れた、歩みを止めるとわたしを追い立てていたものが騒々しく物凄い勢いで少々わたしの身を蹌踉かせながら左右をすり抜けていった。蹌踉きついでに彼らの走る方向に数歩、つい癖で歩みを出してしまったけど、物悲しくなったので今はゆっくり歩くことにした。ゆっくり歩いていても、走っていた時となんら距離が変わらない事に気づいて、それでもこのままゆっくり歩き続ければ徐々に距離は開いて喧騒は聴こえなくなるんだろう、現に別の道を抜けていった塊はもうわたしのわからない言葉で喋っているし、きっと視界に捉えているよりずっと遠くにいるんだろう、逃げ水だ。

わたしはどうやったら悲しくなくなるのだろう、もしくは、悲しくないと設けられた水準まで気を取り戻すことが出来るのだろう。もういい年だ、不出来に目を瞑って高望みをしているでもなし、不特定多数頼みのあやふやな承認が欲しいわけでもなし、なしと思っているのは己のみかもしれないとしても、表層心理ではそう重要な位置づけはしていない。知らん人にモテるより君に愛されたい派なんでおじさんきっとチヤホヤされたら逆に困っちゃう。気分が揺れる時期には悲しみの引き金になる事象に近づかないよう心掛けてはいるものの、確固として揺れないターンでは全く持って無問題どころか楽しみの切っ掛けくらいの勢いであったりするから、線引きは難しい。それでも鉄の自律によって時期ごとに見る物を変えているのだけれど、しかしまあ、完全ではない。完全はない。

完全がないどころかぜんぜんだめだよ!だめだね!!あーもう酔っ払って寝たい今日は疲れた物理で疲れた、台風が押し迫っているから何か台風念波のようなもので昼間みんな眠そうだったしこんな日は早く眠るに限る。睡眠時間の少ない人は早死にしそうで見ていて心配になるからせめてわたしの前ではよく眠ったのだと嘯いて欲しい、構って欲しくて眠らないのなら添い寝くらいしに行くから。後生だから。そしてわたしの悲しみについてという本題が突然結果を伴って舞い戻ってしまった、今日はもう疲れたから来なくてよかったのに。

わたしの体調不良には名前がなかった。誰に聞いてもどの病院へ行っても名前をつけてはくれなかった。知人が眩暈を起こし、ある人は起立性眩暈だといい、ある人は内耳由来の眩暈だといった。病院へ行く事を薦めた次の瞬間にそれは分かった、そういった事が多い。病気なのだろうか、怠惰なのだろうか、デザイナーなのだろうか、デザイナーのふりをした何かなのだろうか、とか、いつでも立ち位置はあやふやで、明らかに眩暈でデザイナーではあるのだけれども、自分が確固として信じているだけで他の誰もが正しい権威のもと地位を与えてくれない、ローカルベースでは認めてくれるが賞や勲章や証明書は貰えない。診断書だって貰っていない、だって病名はいつでもないのだから。そういう「なにものでもない」というありきたりな悩みの、生きるための最低ラインが解決していない、自分しか自分に地位を与えていない。承認欲求では無いと前述したものの、これはある意味の承認欲求ではあるなあと思うとちょっとアホらしくなった。

ぼくの才能を認めてくれといったでしゃばりの気持ちはそれほどないつもりだし、認めて欲しければ腕を磨くしかないと断言する。磨けなければだめであるというレッテルを貼られて然るべきだろう。いまわたしにはだめであるという承認すら貰っていない。そこにいてもいいどころか、いけないという承認もない。経年劣化で倒れていく知人どもの、眩暈の原因が次々と認定されていくのを傍目に、原因が分かって良かったねと声を掛けるわたしはいったいどこを踏みしめて立っているのだろう。

退職しました。

世間のすなる、退職エントリーといふものを、おじさんもしてみむとて、するなり。

2013年いっぱいで某ITベンチャー企業を退職いたしました。と言っても派遣の契約が終了したという形でして、世間様的には大して珍しくもなんともない話です。3ヶ月更新の筈が1ヶ月で繰り上げて円満終了とされましたが、それもきっとよくある話です。

この会社には友人の紹介で派遣会社に登録したのがきっかけで勤務する事になりまして、まず派遣てなんじゃっていうよく分かってない状態で始まり、社内移動などを経て退職した会社の席で落ち着くことになりました。派遣というものを紹介してくれた友人には非常に感謝しています、最初に入った部署はとてもいいところだったよ。

 そもそもどうして派遣なんてもんを始めたかといったらその前職で勤めていた会社をクビになったからで、ここで何故クビになったかどうかは推測の域を出ないので詳しくは書けないにしてもまあまあ大体一般的な戦力外通告と厄介払いだったんじゃないかと思います。
以前からわたしを知る方はご存知かと思いますが、5年間ほど体調を崩して再起不能のターンを彷徨っていまして、酷い時には出社して座っていられなくて机の下やサーバールームで横になり、だるおさん帰りなよって言われても動けないので帰れませんって返事して落ち着いたら休み休み帰る、みたいな日々を繰り返していました。眩暈が酷くて立っていられないどころか横になっても身体がつらく、つらい以外に表現しようが無いのですがとにかくマンガやアニメで重病か薬物投与でもされたキャラが頭を押さえながら「クッ……ぁあっ ふっ……っああ!!」とか呻きながら床に転がっているシーンを彷彿とさせる声が漏れる位には重たく、生きている事がつらいとか口に出しても見ている人間が首を横に振らない状態でした、いやまじで。おじさん何度救急車呼ばれそうになったか分からんけど別に救急な訳ではないし、夜間に行っても構ってちゃんきたよこれみたいな扱いしか受けない事は知ってたのでそこは呼ばんといておきました。夜中の病院なんて1分1秒の生死に関わらない限り行くところじゃねーよ。
そんな醜態を晒していた頃はまだこの仕事は自分しか出来ないという幻覚キノコ食ったみたいな事考えていたし、長く働いて来た中で信用出来る仲間も恩を返したい先輩もいたし、整備された労働環境では無いけれどもこの会社が好きだし仕事も楽しいし、まあ多少悪い所があっても自分の心がけと努力と気合でなんとかなるだろうと思っていた上に、社会人として満足に機能していなかった自分がその場所で赦されている事に甘えていました。まあ病気=即解雇って世間様にバレたら示し付きませんもんね、上場目指してる会社だったしその辺は良識ある体を取っていたからある程度赦されていたのだと思います。
けれどちょっとずつ体制が変わり、人間も入れ替わり、自分も適度に己を赦すことに慣れて来た頃に戦力外通告を頂いたので、会社判断としては妥当だったかなと思っています。退職時の念書書き直させたりクビって言わない所無理矢理言わせてみたりして適度な横暴さは損なわずに円満退社してやったぜ///っていうのが前前職退社までの流れです。

それで、体調を崩して自分自身の何が変わったかというと、健康の大切さだとかそういうものよりまず「諦めること」を知ってしまった所だったんです。身体が動かないから、言葉を吐けないから、立ち上がれないから、やりたい事があっても諦める。言いたい事があっても黙って目を閉じる。それは違うと声を上げたり、埋まる筈の溝を埋めたり、そういう事を諦めるようになってしまった。もしかしたら一般的には諦める事が出来て当たり前なのかもしれないけれど、今までの自分には無かった選択肢ではありました。無かったからこそキリギリスみたいな生活して音楽とかデザインとか絵とかボーっとした事をいつまでも続けていられたのだと思うし、なんかしらんが年齢不詳のナゾなオッサンで通っていけたのだけれども。

この諦めるという選択肢を一度知ってしまうとまず虚栄心と自信がなくなります。虚栄心の意味を損なわずいい意味に誰か変換してくれんかね。虚栄心というのは成長過程には必須項目だと思っているので、わたしは見栄っ張りの出っ張りたがりは好きです。自分の至らなさを必死に隠して気づかれない内に技でも知識でも習得してすまし顔したいっていう絶対に人より劣りたくない気概を伴った虚栄心、ハングリー精神とは違うなあ、もっと鬱屈してコンプレックスで人を出し抜きたいいやらしい気持ち、これがすごく好きでこういうのを持っている子が好みなのですけれど、これがまず無くなりました。ありのままの自分でいいなんて言葉には口が裂けても賛同したくないと思っていたけど、そうしなければ眩暈と肉体的苦痛に押し潰されてしまう、だから諦める。一歩を踏む事が出来なければ外に出られないし、ひと声発する事が出来なければ意見も通らない、だから諦める。自分の出来る身の丈にあったことだけをセレクトして生きる。そうしないとどこで倒れて野垂れ死ぬか分からんのでね。ロハスとかが言ってるみてえなストレスフリーな自分を受け入れて生きることになりました。そうすると自然と自分の出来る事に線引きが出来、そこから先に踏み出す自信が無くなり、現状を維持すればよしとする思考停止スパイラルに陥ります。身体が動かない内はそれで仕方が無い、今だけはこのままでいいと思って過ごしてきたのだけれども、一度その感覚を知ってしまったら結構そのスパイラルを脱却するのが難しく、アホみたいにやりたい事へと猪突猛進していた頃とはあからさまに違う自分と直面して結構な絶望具合でした。分かっちゃいるけどやめられない、理論じゃ分かってるけど気持ちがついてかない、とかそんな感じですね。

もしかしたら皆こういうのは経年劣化で経験していくものかもしれませんが、自分の場合は切欠がはっきりしていたので結構ショック受けてそのまま戻って来れなかった方だと思います。だってこれ以上歩んだらまたあの肉体的苦痛が襲って来るのかなって思ったらそりゃ二の足も踏むさ。そういうの覚えちゃった、えへへ。だからこんなちょっとを歩む事の出来ない自分は低評価でも能力が劣っていると判断されても致し方ないという自己評価の低下につながりつつ、自信は失われていくわけです。

といった所までが前前職までの流れなのですが、前職では業務も少なくて大して必要とされないし凡ミスやらなにやら多いのはきっと諦めて自分が死んでしまったから人並みの仕事も出来なくなってしまったのだなあと1年間ずっとずっと考えながら己の劣化を嘆き諦めた事を責めていたのですが、退職が決まって満了日直前、いつものようにだるおさん先週制作したサイトの文言間違ってるんで直してくださいって営業に指示受けて、ああわたしはまたクライアントから頂いた原稿の入ったエクセルのセルからコピペするだけで済む様な作業すら間違うような無能になってしまったのだなと悲しい気分になって打ちひしがれていた所を、ハッと思い立ってエクセルファイルの更新日を確認したら、自分が作業した日は先週なのに今日の午前中にその営業の名前で更新されててハハッわろた。

意味が分からなかったらまあいいしあくまでも推測なんで断言は出来ないのですが、クライアントから送られてきた原稿ファイルを社内の人間が上書きするなんてまずないじゃないですかやだー。凡そひとつの仮説を立てるならば、一度送られてきた原稿の修正分が後から送られて来ていたにもかかわらず営業がそれを共有サーバーに置くのを忘れていたけれども、文言が違うという指摘が来てからファイルが古い事に気づき、ここは派遣がミスった事にしちゃえばいいと装った、っつう流れなのかなって思ってます。あくまでも仮定で予測だけどな。そういや余りにもそういうコピペで済む筈の凡ミスが多かった、わたし自分が本当に本当に本当にだめになったんだと思っていい人しすぎてた。営業くん趣味志向的に合致するところがあるから色々相談したいなって思ってた事もあったけど心開かなくて良かった。良かったぞーーーーージョジョーーーーー!!!!!

というわけでちょっとずついやらしい虚栄心取り戻して脳の快活化に励もうと思っていますので、仕事頑張って探します。劣化してしまった感は否めないけどジョジョーーーーーおれはにんげんだぞーーーーー!!!!

壊滅的に笑い転げた明くる夜

一年に一回しか更新しないブログは日記とは言わないし、年記では造語なので年報とでも呼んでしまいたい。

スカイデッキは土日祝日しか解放していないという事を去年実地で学んだにも拘わらず、空いている週末を待つのは意外とかったるいしこのままでは何時になるか分からないので、思い切って諦めて平日に赴いてみた。サンシャインの空はガラス越しに眺めてもやっぱりただの空であるし、天気の悪い昼間に見る都会の遠景というのは何となく薄汚れている。

未だにこんな事をしているのは自分だけだろうと思うし、ここから何所にも行けないでぐるぐる回って一年経ったら同じ場所に戻って来てしまうのも馬鹿馬鹿しい。けれどもわたしはもう長い事捕らわれたままなので、おそらくこれは呪いなのだろうと思っている。
とは言っても彼が掛けた呪いでは無く、こうなる事を予想出来なかったわたしが自分自身に掛けてしまった呪いだ。わたしは幽霊とかそういった類の物は信じていないが、生きた人間の怨念は生霊となって人を縛るとかちょっとマジで思っている。この呪いは、この場所とこの呪文を選んでしまったせいで生きているわたしが自分自身に掛けた呪いであり、彼は本当にその切っ掛けだったに過ぎない。誰も悪く無いし強いて言えばわたしがたった一人で一番悪い。
彼は誰にでも明るく優しく笑顔だったというだけで、実際の所わたしとはそれ程懇意にしていた訳ではない。普段は文字情報のみで会話をしながら数度顔を合わせて短い談笑をしていただけの関係だったし、文字情報内でもより親密な交流をしていた人は他に沢山いた。わたしは相変わらずの人見知りと王様気質で彼との会話を何度か無駄にした。たられば仮定の話は余り好きではないので、もっと話せば良かったとか、もっと仲良くなりたかったとか、そういう事は特に考えていない。二人の間柄はそういうものだったのだと納得しておきたい。だけど、今のこの騒動について、彼なら何て思うんだろうなあとかちょっとだけ思ってしまった。思って直ぐに後悔した、わたしはそこに無い事実について言及したくはないのだ。だからこれから先の文章は彼とは全く関係ない事なのだと認識して欲しい。
事態は収束に向かっていてツアーも始まった。最初は落胆したり憤慨したりしていた人たちも、拙いながらもそれらしい応対やライブの素晴らしさで持ち直している。周りを流れる風景は数週間前の空気と変わらず、寧ろ分断していた所が繋がり膿は流れて綺麗になった位だ。トラブルは乗り越えれば結束力を強めて所謂これが『ピンチはチャンス』なんだなあと実感している。単純にピンチの状態を長く保つ事が出来ないから落とし所や最善の状態を模索してそこにシフトしていくというだけの事だろうけれど、そんな当たり前の事をスムーズに行う生命パワーの高さにただただ感動してしまう。沢山の人に囲まれて、一人で生き、自分の事は自分で出来て、自分の気持ちは自分で処理し、それがいち大人として正しい在り様なのだろう。人として当たり前に優秀で前向きに歩いているひとつひとつの個性とか個人がわたしの周りを囲んでいるけれど、わたしは未だに同じ場所をぐるぐると行き来している。わたしはここでも自分自身を呪いに掛けてしまった。
正直な所、金の流れが不明瞭とか、会社として対応が不味いとか、一番悪い人を決めたりそれを排除したり責めたり、彼がいなければとかそれじゃないんだとか、そういった話には興味は無かった。あいつ痛ぇな仕出かしたんだちょっと困ったね、っていうしみじみとした噂話と、早くトラブルが無くなってもやもやした気分が晴れたらいいなという気持ちがあるだけだった。もし金銭に疎いとか王様だったとかそういう予想を立てるなら誰に悪意があった訳でもないし、伝えるのが下手なら汲み取りたかった。悪者を追いこんだり責任の所在を明確にする事は、他の価値観を持つ人には重要な事なのかもしれないけれど、自分には取るに足らない話だったから、人は人、自分は自分のスタンスで静観していた。証明して欲しい人、彼の口から真実が聴きたい人、触れて欲しくない人、それぞれ大切なポイントは違うのだから、そこはわたしが土足で踏み入って価値観を訂正して回るのもよろしくない。人によって落とし所は違うんだ。色んな立場や考え方からの話を読んだり、感想を聞いたり、騒動のいきさつや動向を見守るのも静観者の役割だと思った。愛してるからこそ最後までお付き合いして、全部終わったら綺麗さっぱりした気分で楽しみたかった。それが、彼の自然な言葉を聞いた瞬間、呪いに変わってしまった。
わたしは彼に愛されていないんだなと思ってしまったんだ。
当然の事ながら個人的に愛されてるとか特別な人扱いをされているとか、そういった類の事は微塵も考えてない。そこまで自惚れてもいないし頭おかしくないぞっていうかどういう電波受信してるんだよそれ。そういう事では無く、ファンというひと塊の群れとして、己の賑やかしの一部として、メシのタネとして、わたしは彼に愛されていなかったんだなあと思った、という話だ。それだって充分身勝手で一方的な思いではあるので、そういう仮定に基づいた幻想を抱いていたという事になる。まあ、夢見させてナンボな商売だと思うし多少の勘違いは想定内なんだろうけれど、夢見てる事の一部くらいは本当なのだと思っていた、仮定って本当に嫌いだ。わたしが夢見ていたものはこうだ。例えばゲーム媒体を運営している場合、ユーザーはお客様というひと塊であり個々人の動向なんてものはそう見えない。けれど提供したサービスが当たって利用者数が増加すれば運営側は嬉しいし、感想メールが来れば内容が如何でもテンションは上がるし、例え連絡なんて来ないとしても外部SNSやゲーム内で楽しそうに遊んでいる痕跡を見ればそれだけで満足できる。その気持ちは金銭に直結する前段階で純粋に喜びとして沸き上がり、ありがとうとかこれからも宜しくとか、愛とは言い難くとも少なからず情的なものは芽生えるものではないかと思っている。そういう愛を夢見ていた。その思いはかの更新で一転した。愛と呪いなんて紙一重だ、ベクトルが違うだけで根底に流れるものの原理は変わらない。好きの反対は嫌いではなく無関心だとは良く言った。
勘違いしないで欲しいのは、彼がわたしに呪いを掛けたのではない、わたしがわたしに呪いを掛けたのだ。そして彼が本当にわたし(というファンの塊)を好きではないなんて事は思っていない。生きてる限り自分を肯定的に捉えてくれる人がいるというのは喜ばしいだろうし、先に言った情の様なものは多少なりともあるだろうと思っている。これも予想の域を出ないがその辺は追及しても仕方が無い。まあ一般論で言ったらどんなにひねくれていても好意を示されれば真っ向から嫌がる人はいないだろう、それに付随する面倒臭いとか困るとか個人的に嫌いとかそういう感情の方が先に露見してしまう人も多いだろうが。だから冷静な目で事と対峙すれば自分が本当に愛されていないなんて思い続けてはいないのは分かる、『その瞬間に思ってしまった』という事実があるだけなのだ。
瞬間的に大きな力で殴られた衝撃がわたしの中に留まって離れない。時間の経過と共に頭で経緯を処理して噛み砕いて理解しても、腹に受けた拳の形が指の一本一本まで分かる位に離れない。実際に殴られて指の形が分かる人はそうそういないだろうけれども、これはイメージだ、事実ではなく頭の中に思い描いた事を事実と混同しているだけだ。それも分かっているけど離れない。だって、( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーンて殴られて鼻血が出て唇が腫れたとして、実は間違えて殴っちゃいましたとか本当は殴ろうと思ってなかったんだと説明されて納得してそれじゃあ仕方が無いねこちらも吃驚してごめんね、ってなったとしても、鼻血と腫れは引かないだろう、そういう事なんだ。たまたま鼻血が出易くて血が止まり辛かったわたしを間違えて殴ってしまったのなら、それは誰も悪くない。誰か悪い人を一人選べと言われたら、鼻血の止まらなかった自分が一番悪い。だから彼を恨んだり許さなかったりする訳ではない、抑も許すって何だ、わたしに許されないといられない事など何もないし、恨んだり、嫌いになるつもりもない。愛してるから苦しいんじゃないか。
自分の事を微塵も好きではない人を、過去も現在も未来も好きでい続ける事の苦しさ。
もう一度言うけど本当に彼がわたしを好きでないなんて思っていない。ほんの一瞬の衝撃を未練がましく引き摺っているだけだ。だからそれを声高に伝える事も出来ないし、引き摺った荷物を偽ったり隠したりする程器用にも立ちまわれなかった。わたしの中でこの勘違いな呪いは、成人した子供に母親が「あなたなんて好きじゃなかった、いなくなって欲しかった」とうっかり告白してしまったなんて話に喩えてもいいかもしれない。本心は違ったとしても、それを後出しで訂正しても、一度削られた部分はすぐに直る訳でもないし、瞬間接着剤で貼り付けたって痕は残る。削られてしまいましたなんて誰に言う事でもないし、言う相手もいない。大体削られたのかすら考える所まで頭が回らない。つまり凄く疲れているんだよ。愛されてないと思った時から、その続きを思い描く事が出来なくなった。愛されない事に気を多く割いて揉む質であるわたしが疲れているだけだから、そう思わない人が冷酷だとかそういう事を訴えたい訳でもない、これはわたしの中の、わたしだけの問題で、わたしだけの事例で、わたしの話なのだ。だからだれもがこのわたしを指差して笑ったとしても、他の人達は戦ったり、慰めたり、啀み合ったりしないで欲しいと思っている。
疲労を癒すのは時間であり、痛みを癒すのは上書き消去だろう。疲れたなら眠ればいいし、恋人に振られた時は新しい恋人を作ればいい。だからと言って新しい恋人を作るつもりは特に無くて、今でも彼の事が好きだし、これまでも産まれた子供が成人する以上の時間を使って愛して来たし、これから先も好きだ。恋人はちょっと違うな、やっぱおかあさんだな。おかあさんに嫌われたって愛されたっておかあさんである事は変わりないし、変える事は難しい。本当の実母なら法律的な手続きで無関係になる事も出来るだろうけどこちとら脳内おかあさんだから元々繋がってる箇所なんてないし切り離しようが無いので、わたしはもう少し疲れたままなのかなと思っている。わたしの事を好きでも何でもないと一瞬感じてしまった人をこれから先も愛するのだから、もう少し呪いを解く時間が欲しい。

日記始めました

日記という物を書きたい書きたいと思っていながら何となく書く機会も内容も無くだらだらと時を無駄にして行った訳だ。iPhoneにしてからパソコン開く回数も減ったし態々ネットに日記を書くのも面倒臭えし、まあモレスキンに落書きでもしてりゃいいのかなとも思っていた。どうもキーボードをパチパチしないとまとまった文を書く事が出来ないらしくて、iPhoneの日記アプリで書いていてもメモの領域を出ず、言いたい事を最初の一文で書き始めると終わりがグダグダになって文章にならないのだ。だからパソコンを開かないと日記にならない、メモだ、箇条書きだ。それからブログを更新していた頃の自分の文章はどうだったのだろうと思い出してみるのだけれど、そこはかとなく今一つ思い出せない。ブログをしたためていた頃と現在とでは書く文章も読む文章も好みの題材も一新されてしまって、その頃の自分と今の自分との間に一貫性が無い文体で書くというのに抵抗を憶える、というのも手を付けなかった理由の一つになる。過去の遺物を読み返してどう書いていたのか思い出せばいいとは言っても、今読み返すと寒いんだよ。(笑)とか普通に使ってるしオヤジギャグかましてるし。あ、今もか。今もだな。おいどうでもいいけど改行だ、改行しろよ見辛いんだよバカ!
改行した。昔『文章の改行は改段落時のみ』と日本語の偉い人っぽい人が主張していたのを見てから、確かに日本語は詰まった塊の方が美しいと思う様になり、改行の多い文章を見るとそれが文字の塊に見えなくなってしまった。<BR>使うなら<P>使えとも言うしな。とは言ってもSNSの日記や芸能人のblogなんかは殆どの場合無意味に行間空けるのがマナーであると主張したいのかって位に改行だらけなので、自分の趣味嗜好が正しいとかアナタマチガッテルヨーとかプゲラ的な事は全く思わない、寧ろこのご時世改行も句読点も少ない文章書いてる方が頭おかしいのだ、ネットの文章は読点毎に改行する、場合に拠っちゃ2行開ける、誰かが制定したルールではなくてもそうした方が見易いからそうすればいいと決まっている。理由は簡単、モニター越しだからだ。これが仕事で書いている文章だとしたらもう30回位改行してるし軽く顔文字だって入れるし、記号は使うしハートは乱発だし語尾は語り掛け口調になるわ!いいの、判ってやってるんだしこういうのが好きなんだから。
といった性癖があるためか、パソコンのキーボードでパチパチやりながら進んだり戻ったり顔近づけたり遠くから眺めたりしないと何を書いていいいのか困ってしまうから、携帯端末で書く文章はメモに留まっている。アイデアやネタを書き留めておくには向いているけど書き留めた物を起こした覚えが無い。シングルタスクでアナログなのだよ。そんなメモ日記を暫く書き溜めていた近頃、ちょっとした切っ掛けでさるさる日記のIDを取る機会があった。何故かというと本当に些細な事で「さるさるってまだあるの?」とtwitterで呟いたらURLが飛んで来たのでつまり出来心だ申し訳ない。勿論冗談だと思っていたらスズメさんが本当に日記を付けていやがった。出来心じゃ無かったのかこんにゃろう。ならば私もさるさるしようかと色を考えたりタイトルを考えたりしている最中で此処の存在を思い出し、さるさる放りだしてはてなに寄り道しに来たのであった。単純で短絡的、脳の働きとしてはおにぎりもぐもぐに近いレベルの衝動的行動なので本当にここで日記を書いて続くのかどうか分からない、というかサイトにあるブログはどうしたんですかどうしたんですか放置ですかどうしたんですか!放置ですどうもしません放置だってば。
抑も日記もといブログを放置したのは原因不明の体調不良によるものなので、具合の良くなった現在においてネット上に文章を残さない理由が無くなって来た訳である。毎日もしくは毎日に近い稼働率で何かを更新するという繰り返し作業は生活に減り張りが出る、健やかな時も心病める時も、眠れない夜も恐ろしい朝も愛しくて暴れたい瞬間も、一日一回文章を打つという事であらぶる魂を沈める事が出来るだろう、鎮魂歌ですねチンコンカーンちんこ!ちんこ!
ごめんなさい、次からはちゃんと改行や句読点入れるし短い文章ばっかりになると思います。

20081231

あまりにも蔵書の把握が取れていなくて同じ本やCDを被って購入してしまう事が多いため、書庫整理をする事にした。
今はやりの読書メーターでも使おうかと思ったけど、iPhoneラーなので携帯登録機能必須ではないし、密林に無い本は大抵登録公表したくないものだし(妖しい魔術書とか)、そもそもデザインが今一つ気に食わないのでブク□グでお世話になることにした。先行サービスだしペパ仔は軽薄で好き。
背中一面の壁に詰まった漫画本を片っ端から登録してって、兎に角漫画本ばっかりで目がチカチカしながら登録してって。この本棚を購入した時「これなら蔵書がすっぽり収まるだろう」と自信満々だったにも拘らず半分も収納出来なくて、どれを本棚に戻すかどれを温泉(我が家の物置部屋はこう呼ばれている)に仕舞うか、抜いたり差したりしていた思い出のあるこの本達をあらためて端からISBN登録していったら初めてそこでわたしの所有物になったようで、はからずも安心してしまった。今までそこに散らばっているだけだった本たちが名前を呼べば返事をかえす存在になった気がして、人間の脳って単純だなぁと思ったりもした。
ようやく本棚全ての漫画を登録し終えてさあ次は温泉だ、と、蓋を開けてみれば今登録した分以上の本が巻数もバラバラに箱の中で鎮座していて、漫画だけじゃなくて読んだか読んでないんだか分からないハードカバーの本とかぼろぼろ出てくるし、良く考えたら部屋には背中の本棚以外にもう一つ本棚があるんだった等と思い出したりして、面倒臭くなって作業がストップしてしまった。中途半端でしりがむずむずするけど、暇な時間を見つけてのんびり登録していく事にしよう。さようならとブラウザを閉じる。
所で温泉には本以外にCD、冬服、タオル、縫い包み、食玩、アンプ、シーケンサ、楽器、エフェクタラック、酒、ダンボール、書類、空き箱、骨董品、ディスコライト、壊れたパソコン、要らないモニタ、古いゲームなんかもあって、ちょっと1冊開こうかなんて時には床置きの押入れケースやらハンガーラックやらを押し退けて獣道を開かなくてはならない程混沌としていた。なので、まあそう頻繁に物を取り出すことも無いのだけれど、思い切っていらないものは捨ててしまう事にした。
車の背中をいっぱいに開いて、端からいらないものを詰めていく。いらないものを選別するには余りにもものが多すぎて、またひとつがいると感じたらすべてがいると感じてしまうから、いるものもいらないものも全てごっちゃで箱に詰めて車のトランクに乗せていった。初めて買ったパソコンモニタとか、第1号から集めてた雑誌とか、おじいちゃんが死んだ時に止まった時計とか、いろんなものを縛って放り込んでいった。実の所いらないものは何もなかったけど、もうみんな必要無かった。
体重が倍くらいになった車に乗り込んで快晴の道路をゆっくり走り、目指すは街外れの廃棄物処理場へ。道を進むにつれて幹線道路は狭く曲がりくねった田舎道となり、そのうち緩やかな曲線だけの、やたら視界の広い道となっていった。どうでもいいのだけれど今日は兎に角晴れている。モーニング・トレインを車の内側いっぱいに鳴り響かせながら、車はゆっくり走り続ける。馬鹿みたいに太陽は明るいしシーナ・イーストンも楽しそうだけれど、残念ながら私はこれから灰を撒きに行くのだよ。廃棄物処理場は大きな口をあけて私たちを待っていた。
落ちたものを潰す機械が止まってるうちにいらない全てのものを投げ込んだ。そっと落としても力いっぱい投げても、みんな地面にからだを打ちつけて粉々に散っていた。処理場の職員はいつもならムッツリ顔で粗野な指図しかしてこないのに、今日は何故だかやたらハキハキと働いている気がした。車と穴とを延々往来しながらさいごのひとつを投げ込もうとしたら、雑誌はこちらのワゴンにと案内されたので、静かに置いて帰ってきた。車はぽっかりからっぽだった。